2019年05月22日

令和元年司法試験論文式公法系第1問参考答案

【答案のコンセプトについて】

1.司法試験の論文式試験において、合格ラインに達するための要件は、概ね

(1)基本論点抽出できている。
(2)当該事案を解決する規範明示できている。
(3)その規範に問題文中のどの事実が当てはまるのかを摘示できている。

という3つです。とりわけ、(2)と(3)に、異常な配点がある。(1)は、これができないと必然的に(2)と(3)を落とすことになるので、必要になってくるという関係にあります。応用論点を拾ったり、趣旨や本質論からの論述、当てはめの事実に対する評価というようなものは、上記の配点をすべて取ったという前提の下で、優秀・良好のレベル(概ね500番より上の順位)に達するために必要となる程度の配点があるに過ぎません。 

2.ところが、法科大学院や予備校では、「応用論点に食らいつくのが大事ですよ。」、「必ず趣旨・本質に遡ってください。」、「事実は単に書き写すだけじゃダメですよ。必ず自分の言葉で評価してください。」などと指導されます。これは、必ずしも間違った指導ではありません。上記の(1)から(3)までを当然にクリアできる人が、さらなる上位の得点を取るためには、必要なことだからです。現に、よく受験生の間に出回る超上位の再現答案には、応用、趣旨・本質、事実の評価まで幅広く書いてあります。しかし、これを真似しようとするとき、自分が書くことのできる文字数というものを考える必要があります。
 上記の(1)から(3)までを書くだけでも、通常は6頁程度の紙幅を要します。ほとんどの人は、これで精一杯です。これ以上は、物理的に書けない。さらに上位の得点を取るために、応用論点に触れ、趣旨・本質に遡って論証し、事実に評価を付そうとすると、必然的に7頁、8頁まで書くことが必要になります。上位の点を取る合格者は、正常な人からみると常軌を逸したような文字の書き方、日本語の崩し方によって、驚異的な速度を実現し、7頁、8頁を書きますが、普通の考え方・発想に立つ限り、なかなか真似はできないことです。
 文字を書く速度が普通の人が、上記の指導や上位答案を参考にして、応用論点を書こうとしたり、趣旨・本質に遡ったり、いちいち事実に評価を付していたりしたら、どうなるか。必然的に、時間不足に陥ってしまいます。とりわけ、上記の指導や上位答案を参考にし過ぎるあまり、これらの点こそが合格に必要であり、その他のことは重要ではない、と誤解してしまうと、上記の(1)から(3)まで、とりわけ(2)と(3)を省略して、応用、趣旨・本質、事実の評価を書きにいってしまう。これは、配点が極端に高いところを書かずに、配点の低いところを書こうとすることを意味しますから、当然極めて受かりにくくなるというわけです。

3.上記のことを理解した上で、上記(1)から(3)までに絞って答案を書こうとする場合、困ることが1つあります。それは、純粋に上記(1)から(3)までに絞って書いた答案というものが、ほとんど公表されていないからです。上位答案はあまりにも全部書けていて参考にならないし、合否ギリギリの答案には上記2で示したとおりの状況に陥ってしまった答案が多く、無理に応用、趣旨・本質、事実の評価を書きにいって得点を落としたとみられる部分を含んでいるので、これも参考になりにくいのです。そこで、純粋に上記(1)から(3)だけを記述したような参考答案を作れば、それはとても参考になるのではないか、ということを考えました。下記の参考答案は、このようなコンセプトに基づいています。

4.参考答案の太字強調部分は、現在制作中の「司法試験定義趣旨論証集憲法」の草稿に準拠した部分です。「司法試験定義趣旨論証集憲法」は、論証を覚えて貼り付けるだけで高度な答案が書けるようにする、ということを目標としています。今回の参考答案は、その試行という意味合いが強いのですが、概ね目標は達成されていると感じます。「司法試験定義趣旨論証集憲法」のいわば予告編として、参考にして頂ければ幸いです。

 

【参考答案】

第1.立法措置①

1.法案6条は、国民の表現の自由(21条1項)を侵害するか。

(1)同項の「表現」とは、自らの思想等を外部に表明することをいう。虚偽と知りながらする表現は、自らの信じる思想等の表明とはいえないから、同項で保障されない。
 法案6条は、虚偽と知りながら虚偽表現を流布することを禁止するから、その対象は、21条1項で保障されない表現である。

(2)表現規制の文言が不明確である場合には、それだけで21条1項に違反する(明確性の原則)。不明確な規制は保障を受ける表現をも萎縮させるから、保障されない表現を対象とする規制にも明確性の原則は妥当する。
 法案6条違反に罰則がある(法案25条)ことから、通常の判断能力を有する一般人の理解において、具体的場合に適用を受けるかの判断を可能にさせる基準が読みとれるかによって判断する(徳島市公安条例事件判例参照)。
 「公共の利害に関する事実」や「虚偽」の文言は、刑法230条の2、233条等で用いられているから、通常の判断能力を有する一般人の理解において、具体的場合に適用を受けるかの判断を可能にさせる基準が読みとれる。法案6条は不明確であるとはいえない。

(3)法案6条は、虚偽の表現そのものの禁止をねらいとする直接的制約である(猿払事件判例対照)。したがって、わいせつ、名誉毀損など、21条1項の保障を受けない表現のみを対象とするものでない限り、同項に違反する(定義的考量)。
 法案6条は、虚偽と知りながらする表現のみ規制対象とする。したがって、この点では21条1項に違反しない。

(4)保障されない表現に対する規制であっても、その内容に着目して恣意的に一部のみを対象とすることは、21条1項に違反する(米国におけるR.A.V.事件判例参照)。保障されない表現類型の一部のみが規制対象とされる場合には、対象の選定について十分な理由が示されない限り、内容に着目して恣意的に選別されたものと認めるべきである。
 法案6条は、虚偽と知りながらする表現のうち、公共の利害に関する事実のみを対象とする。その理由は、社会的混乱の防止とされる(法案1条)。しかし、公共の利害に関する表現は憲法上特に保護すべきこと(北方ジャーナル事件判例参照)、甲県の化学工場の爆発事故の例は偽計業務妨害罪で対処できること、他の事実についても社会的混乱は生じうることからすれば、対象の選定について十分な理由が示されていない。したがって、内容に着目して恣意的に一部のみを規制対象としたと認める。
 よって、法案6条は、21条1項に違反する。

2.31条は刑罰内容の適正も保障しており、罪刑の均衡などの観点から著しく不合理で、到底許容しがたい場合には、同条に違反する(猿払事件判例参照)。
 法案6条は具体的法益侵害を構成要件としておらず、漠然とした社会の平穏を保護法益とするところ、法案25条の法定刑は30万円以下の罰金である。これは、個人の外部的名誉を保護法益とする侮辱罪の法定刑が拘留・科料である(刑法231条)ことと比較して罪刑の均衡を欠いて著しく不合理で、到底許容しがたい。法案25条は、31条に違反する。

3.よって、立法措置①は、違憲である。

第2.立法措置②

1.法案9条は、発信者の表現の自由を侵害するか。

(1)アウシュビッツの嘘に関するドイツ憲法裁の判例は、歴史的に公知の事実に反する主張は憲法上保護されないとする。しかし、歴史的・科学的事実に反するか否かは思想の自由市場における討議の対象であるから、他人の権利・利益の侵害を伴わない限り、21条1項の保障を受けると考える。したがって、虚偽と知らないでした表現は、21条1項で保障される。法案9条は、虚偽と知っていたかを問わないから、21条1項で保障される表現が規制対象となる。
 SNSは事業者が管理する場所である。表現の自由は、他者が管理する場所を当然に利用する請求権を含まない(吉祥寺駅ビラ配布事件、立川反戦ビラ配布事件各判例参照)。もっとも、その場所がパブリック・フォーラムに当たる場合には、その利用を妨げられない自由にまで及ぶ(パブリック・フォーラム論。吉祥寺駅ビラ配布事件判例における伊藤正己補足意見、泉佐野市民会館事件判例参照。)。道路、公園、広場など、一般公衆が自由に出入りでき、その本来の利用目的とは別に、伝統的に表現のための場所とされてきたものは、パブリック・フォーラムに当たる(伝統的パブリック・フォーラム。上記伊藤補足意見参照。)。
 SNSは、伝統的パブリック・フォーラムではないが、情報共有や公衆のアクセスを本来の利用目的とする(法案2条2号)点で、伝統的パブリック・フォーラム以上にその趣旨が当てはまるから、発信者の表現の自由は、SNSの利用を妨げられない自由に及ぶ。

(2)法案9条による削除は、発信者のSNSの利用を妨げる。したがって、法案9条は、発信者の表現の自由を制約する。

(3)法案9条の措置が特定虚偽表現の禁止となる点の合憲性を検討する。

ア.「選挙の公正」の文言は、公選法148条ただし書、235条の2第1号でも用いられており、不明確であるとはいえない。

イ.法案9条は、選挙の公正(法案1条)を目的とし、意見表明そのものの禁止をねらいとしない。したがって、目的が正当で、手段との合理的関連性があり、得られる利益と失われる利益の均衡を失しない限り、21条1項に違反しない(猿払事件、戸別訪問禁止事件、寺西判事補事件、広島市暴走族追放条例事件各判例参照)。
 なお、47条が選挙に関する事項に立法裁量を認めていることを根拠に、裁量の逸脱がない限り合憲であるとする見解がある(戸別訪問事件における伊藤正己補足意見参照)。しかし、47条は制度の形成に立法府の裁量を認めるにすぎず、それに付随して表現の自由を制約する裁量まで認める趣旨とはいえないから、その裁量権の行使として定められた規律が付随的に表現の自由を制約する場合には、法益の均衡等について裁判所の判断代置により審査すべきである(公務員関係(73条4号)につき猿払事件、選挙関係(47条)につき戸別訪問事件各判例参照)。上記見解は採用できない。

ウ.法案9条の目的は、選挙の公正であり正当である。同条は、明白に虚偽で、選挙の公正を著しく害するおそれの明白なものを規制対象とするから、目的との合理的関連性がある。
 法益の均衡については、他に意見表明の機会があるか、法益侵害のおそれがどの程度あるかなどを考慮すべきである。法案9条は、選挙運動期間中と選挙当日のSNS上の表現を対象とし、他の期間やSNS以外での意見表明の機会がある。また、虚偽かつ選挙の公正を著しく害するおそれが明白な場合に限り対象となる。他方、得られる利益は選挙の公正である。意図的なフェイク・ニュースが選挙結果を左右したという研究や報道があり、とりわけSNS上の選挙に際しての虚偽の表現が問題で、新聞紙・雑誌が選挙の公正を害する罪はSNSを対象とせず、虚偽事項の公表罪は目的要件充足が困難で乙県知事選挙の例などに十分対処できないことも考慮すれば、均衡を失していない。
 以上から、特定虚偽表現の禁止は、21条1項に違反しない。

(4)法案9条の措置が差止めとなる点の合憲性を検討する。

ア.「検閲」(21条2項前段)とは、行政権が主体となって、思想内容等の表現物を対象とし、その全部又は一部の発表の禁止を目的として、対象とされる一定の表現物につき網羅的一般的に、発表前にその内容を審査した上、不適当と認めるものの発表を禁止することを、その特質として備えるものをいう(札幌税関事件判例参照)。
 法案9条の措置は発表前審査でないから、検閲に当たらない。

イ.事後の差止めには、重大で回復困難な損害が生じるおそれを要する(「石に泳ぐ魚」事件判例参照)。
 法案9条は、虚偽かつ選挙の公正が著しく害されるおそれが明白なものを特定虚偽表現として削除の対象としており、特定虚偽表現には重大で回復困難な損害が生じるおそれがある。

ウ.以上から、同条の差止めは、21条1項に違反しない。

2(1)31条の保障が行政手続にも及ぶかは、制限を受ける権利利益の内容、性質、制限の程度、達成しようとする公益の内容、程度、緊急性等を考量して決定すべきであり、常に必ず告知・聴聞の機会を与えることは必要ではない(成田新法事件判例参照)。
 法案9条2項の命令については、前記1(3)ウに示したことに加え、公益上緊急に対応する必要があり、独立・中立の委員会(法案第3章)がするから、行政手続法の定める事前手続を不要としても31条に違反しない(公選法264条の2も参照)。

(2)罰則の法定刑は6月以下の懲役又は100万円以下の罰金(法案26条)であるが、保護法益は選挙の公正で、公選法235条2項が4年以下の懲役や100万円以下の罰金を定めていることから、罪刑の均衡などの点からも31条に違反しない。

3.法案9条はSNS事業者の営業の自由を制約するが、前記1(3)ウに示した目的の正当性・手段の合理的関連性に加え、削除命令に違反した場合に初めて処罰(法案26条、27条)する事後的・段階的規制(広島市暴走族追放条例事件判例参照)であること、利用登録者200万人未満の事業者が除外される(法案2条3号)こと、免責規定がある(法案13条)ことを考慮すれば、著しく不合理であることが明白でないから、22条1項に違反しない(小売市場事件、農業共済組合当然加入制事件各判例参照)

4.法案13条は、発信者の損害賠償請求権を制限するが、特定虚偽表現の削除は法案9条により適法であり、特定虚偽表現でない表現の削除については事業者の負担軽減のため軽過失の場合を免責するにとどまるから、必要性・合理性を欠くことが明らかとはいえず、29条に違反しない(証取法事件判例参照)

5.よって、立法措置②は、合憲である。

以上

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2018年07月28日

平成30年司法試験論文式刑事系第2問参考答案

【答案のコンセプトについて】

1.司法試験の論文式試験において、合格ラインに達するための要件は、概ね

(1)基本論点抽出できている。
(2)当該事案を解決する規範明示できている。
(3)その規範に問題文中のどの事実が当てはまるのかを摘示できている。

という3つです。とりわけ、(2)と(3)に、異常な配点がある。(1)は、これができないと必然的に(2)と(3)を落とすことになるので、必要になってくるという関係にあります。応用論点を拾ったり、趣旨や本質論からの論述、当てはめの事実に対する評価というようなものは、上記の配点をすべて取ったという前提の下で、優秀・良好のレベル(概ね500番より上の順位)に達するために必要となる程度の配点があるに過ぎません。 

2.ところが、法科大学院や予備校では、「応用論点に食らいつくのが大事ですよ。」、「必ず趣旨・本質に遡ってください。」、「事実は単に書き写すだけじゃダメですよ。必ず自分の言葉で評価してください。」などと指導されます。これは、必ずしも間違った指導ではありません。上記の(1)から(3)までを当然にクリアできる人が、さらなる上位の得点を取るためには、必要なことだからです。現に、よく受験生の間に出回る超上位の再現答案には、応用、趣旨・本質、事実の評価まで幅広く書いてあります。しかし、これを真似しようとするとき、自分が書くことのできる文字数というものを考える必要があります。
 上記の(1)から(3)までを書くだけでも、通常は6頁程度の紙幅を要します。ほとんどの人は、これで精一杯です。これ以上は、物理的に書けない。さらに上位の得点を取るために、応用論点に触れ、趣旨・本質に遡って論証し、事実に評価を付そうとすると、必然的に7頁、8頁まで書くことが必要になります。上位の点を取る合格者は、正常な人からみると常軌を逸したような文字の書き方、日本語の崩し方によって、驚異的な速度を実現し、7頁、8頁を書きますが、普通の考え方・発想に立つ限り、なかなか真似はできないことです。
 文字を書く速度が普通の人が、上記の指導や上位答案を参考にして、応用論点を書こうとしたり、趣旨・本質に遡ったり、いちいち事実に評価を付していたりしたら、どうなるか。必然的に、時間不足に陥ってしまいます。とりわけ、上記の指導や上位答案を参考にし過ぎるあまり、これらの点こそが合格に必要であり、その他のことは重要ではない、と誤解してしまうと、上記の(1)から(3)まで、とりわけ(2)と(3)を省略して、応用、趣旨・本質、事実の評価を書きにいってしまう。これは、配点が極端に高いところを書かずに、配点の低いところを書こうとすることを意味しますから、当然極めて受かりにくくなるというわけです。

3.上記のことを理解した上で、上記(1)から(3)までに絞って答案を書こうとする場合、困ることが1つあります。それは、純粋に上記(1)から(3)までに絞って書いた答案というものが、ほとんど公表されていないからです。上位答案はあまりにも全部書けていて参考にならないし、合否ギリギリの答案には上記2で示したとおりの状況に陥ってしまった答案が多く、無理に応用、趣旨・本質、事実の評価を書きにいって得点を落としたとみられる部分を含んでいるので、これも参考になりにくいのです。そこで、純粋に上記(1)から(3)だけを記述したような参考答案を作れば、それはとても参考になるのではないか、ということを考えました。下記の参考答案は、このようなコンセプトに基づいています。

4.参考答案の太字強調部分は、「司法試験定義趣旨論証集刑訴法」及び「司法試験平成29年最新判例ノート」の付録の論証集に準拠した部分です。

 

【参考答案】

第1 設問1

1 下線部①の捜査

(1)強制処分は、刑訴法に特別の規定がなければ、することができない(197条1項ただし書)。強制処分とは、個人の意思を制圧して憲法の保障する重要な法的利益を侵害するものをいう(GPS捜査事件判例参照)。

ア 合理的に推認される個人の意思に反して秘かに行われる場合には、個人の意思を制圧するものといえる(上記判例参照)。
 下線部①の捜査は、合理的に推認される甲の意思に反して秘かに行われたから、甲の意思を制圧してされたものである。

イ 憲法35条の保障対象には、「住居、書類及び所持品」に限らずこれらに準ずる私的領域に「侵入」されることのない権利が含まれる(上記判例参照)。もっとも、公道等、人が他人から容ぼう等を観察されることを受忍せざるを得ない場所においては、プライバシーに対する期待が一定程度後退するから、そのような場所において容ぼう等を撮影されない利益は、身体、住居、財産等に準じるものとはいえない。
 本件事務所は、前面が公道に面した平屋建ての建物で、玄関ドアから外に出るとすぐに公道となっていた。Pが撮影した映像は、男が同事務所の玄関ドアに向かって立ち、ドアの鍵を掛けた後、振り返って歩き出す姿が、容ぼうも含めて映っているものであった。したがって、捜査①は、人が他人から容ぼう等を観察されることを受忍せざるを得ない場所における容ぼう等の撮影である。
 したがって、憲法の保障する重要な法的利益を侵害するとはいえない。

ウ 以上から、強制処分には当たらない。

(2)任意処分としてされる公道等における被疑者の容ぼう等の撮影は、捜査目的を達成するため、必要な範囲において、かつ、相当な方法によって行われたものである限り、適法である(公道及びパチンコ店内における撮影に関する判例参照)。

ア 「捜査目的を達成するため」とは、捜査機関において、被疑者が犯人である疑いを持つ合理的な理由が存在し、その撮影が、犯人の特定等のための重要な判断に必要な証拠資料を入手するためのものであることをいう(判例)。
 Pらが所要の捜査を行ったところ、本件領収書に記載された住所には、実際にA工務店の事務所が存在することが判明したから、甲が犯人である疑いを持つ合理的な理由が存在する。Pらは、同事務所の玄関ドアの鍵を開けて中に入っていく中肉中背の男を目撃し、その男が甲又はA工務店の従業員である可能性があると考えて、下線部①の捜査を行ったから、その撮影が、犯人の特定等のための重要な判断に必要な証拠資料を入手するためのものといえる。以上から、下線部①の捜査は、捜査目的を達成するためのものといえる。

イ Pが撮影した映像は全体で約20秒間のものであり、男が同事務所の玄関ドアに向かって立ち、ドアの鍵を掛けた後、振り返って歩き出す姿が、容ぼうも含めて映っているものであったから、被疑事実が詐欺罪(法定刑は長期10年の懲役。刑法246条1項。)であることも考慮すると、下線部①の捜査は、必要な範囲において、かつ、相当な方法によって行われたものといえる。

(3)よって、下線部①の捜査は、適法である。

2 下線部②の捜査

(1)ア 下線部②の捜査は、合理的に推認される甲の意思に反して秘かに行われたから、甲の意思を制圧してされたものである。

イ 下線部②の捜査は、本件事務所内の様子を撮影するものである。確かに、本件事務所は住居ではなく、Pは同事務所の敷地に立ち入っておらず、玄関上部にある採光用の小窓を通して撮影したにとどまる。しかし、公道からは同事務所内の様子を見ることができないこと、向かい側のマンション2階通路に上がって望遠レンズ付きのビデオカメラを用いたことからすれば、「住居、書類及び所持品」に準ずる私的領域への侵入といえ、憲法の保障する重要な法的利益を侵害する。

ウ したがって、強制処分といえる。

(2)検証(218条1項)とは、五感の作用によって場所、物又は人の状態を認識する強制処分をいう。下線部②の捜査は、視覚によって工具箱の状態を認識する強制処分であるから、検証に当たる。しかし、下線部②の捜査は、検証許可状を取得せずに行われた。
 強制処分であっても、現行犯逮捕等の令状を要しない処分と同視すべき事情があると認められる場合には、必ずしも令状を要しない(京都府学連事件、GPS捜査事件各判例参照)。現に犯罪が行なわれ、又は行なわれたのち間がないと認められる場合であって、証拠保全の必要性及び緊急性があり、かつ、その撮影が一般的に許容される限度を超えない相当な方法をもって行なわれるときは、上記令状を要しない処分と同視すべき事情があると認められる(京都府学連事件判例参照)。
 確かに、下線部②の捜査でされた撮影は約5秒間であり、同事務所内の机上に工具箱が置かれている様子が映っているのみで、甲の姿は映っていなかったから、撮影が一般的に許容される限度を超えない相当な方法をもって行なわれたといえる。また、Pらは、監視の最終日、甲が赤色の工具箱を持って本件事務所に入っていくのを目撃し、同工具箱に「A工務店」と書かれたステッカーが貼られていることが確認できれば、甲が犯人であることの有力な証拠になると考えたが、ステッカーが小さく、甲が持ち歩いている状態ではステッカーの有無を確認することが困難であったこと、Pが望遠レンズ付きのビデオカメラで同工具箱を見たところ、同工具箱の側面に、「A工務店」と記載された小さな円形のステッカーが貼られているのが見えたことから、証拠保全の必要性及び緊急性がある。しかし、現に犯罪が行なわれ、又は行なわれたのち間がないと認められる場合ではない。
 以上から、令状を要しない処分と同視すべき事情があるとはいえない。

(3)よって、下線部②の捜査は、違法である。

第2 設問2

1 小問1

(1)320条1項の「書面」(供述代用書面)とは、供述を内容とする書面であって、その供述により再現されたとおりの事実の存在を要証事実とするものをいう。

ア 本件メモは、Vの供述を内容とする書面である。

イ Qは、本件メモの立証趣旨について、「甲が、平成30年1月10日、Vに対し、本件メモに記載された内容の文言を申し向けたこと」であると述べたこと、甲がVに申し向けた内容は詐欺罪の犯罪事実である欺く行為を構成することから、本件メモの要証事実は、甲がVに対して申し向けた内容が、本件メモに記載されたとおりの内容の文言であったことである。
 本件メモは、犯人が言った内容についてのVの体験を再現したものである。したがって、本件メモは、Vの供述により再現されたとおりの事実の存在を要証事実とするものといえる。

ウ 以上から、本件メモは、320条1項の「書面」に当たる。

(2)320条1項の「書面」であっても、被告人以外の者が作成した供述書で、321条1項3号の場合には、証拠とすることができる(320条1項、321条1項柱書)。なお、供述書には録取過程がないから、署名押印を要しない(判例)。

ア 本件メモは、Vが作成した供述書である。

イ 記憶喪失が一時的なものではなく、通常の手段を尽くしても記憶の回復が困難である場合には、供述者が国外にいる場合以上の事由があるといえるから、供述不能事由に当たる。
 Vは脳梗塞で倒れ、Vの担当医師は、Vの容体について、「今後、Vの意識が回復する見込みはないし、仮に意識が回復したとしても、記憶障害が残り、Vの取調べをすることは不可能である。」との意見を述べたから、通常の手段を尽くしても記憶の回復が困難である場合といえる。したがって、供述不能事由がある。

ウ 甲は、「V方に行ったことはありません。」と述べて犯行を否認している。本件メモ以外にQが取調請求をしている証拠は、本件領収書の印影と本件事務所から押収された認め印の印影が合致する旨の鑑定書、本件領収書から検出された指紋と甲の指紋が合致する旨の捜査報告書、Vから本件メモ及び本件領収書の任意提出を受けた旨の任意提出書等及び本件領収書である。これらの証拠では、甲の欺く行為の具体的内容を明らかにすることはできない。また、Vが脳梗塞で倒れたため、PはVの供述調書の作成を断念しており、この点に関するVの供述調書も存在しない。
 以上から、本件メモは、犯罪事実の存否の証明に欠くことができない。

エ 特信情況は、供述がなされた外部的事情を基準として判断すべきであるが、外部的事情を推認させる資料として、供述内容を考慮することができる(判例)。
 本件メモは、Vが、犯行当日の午後7時頃、Vの長男WがV方を訪問した際に工事の話をしたことを契機に、詐欺の被害に遭ったことに気付き、Wから、犯人が言った内容を記載しておいた方がよいと言われたため、その場で、メモ用紙にその内容を記載したものである。Wは、Pに対し、「提出したメモは、昨夜、母が、私の目の前で記載したものです。そのメモに書かれていることは、母が私に話した内容と同じです。」と説明し、証人尋問においても、同旨の証言をした。本件メモは全ての記載がVによる手書き文字であり、信用性を疑わせる外部的事情を推認させる記載は見当たらない。したがって、特に信用すべき情況の下にされたものといえる。

オ 以上から、321条1項3号の場合に当たる。

(3)よって、本件メモの証拠能力は、認められる。

2 小問2

(1)Qは、本件領収書の立証趣旨について、「甲が平成30年1月10日にVから屋根裏工事代金として100万円を受け取ったこと」であると述べたこと、上記事実は詐欺罪の犯罪事実である錯誤に基づく財物の交付を構成することから、本件領収書の要証事実は、上記事実である。

(2)書証とする場合

ア 本件領収書は、甲の供述を内容とする書面であり、「甲が平成30年1月10日にVから屋根裏工事代金として100万円を受け取ったこと」についての甲の体験を再現したものであるから、甲の供述により再現されたとおりの事実の存在を要証事実とするものといえる。したがって、本件領収書は、320条1項の「書面」に当たる。

イ 320条1項の「書面」であっても、被告人が作成した供述書でその供述が被告人に不利益な事実の承認を内容とするものであって、任意性に疑いがない場合には、証拠とすることができる(同項、322条1項)。

ウ 本件領収書は、甲が作成した供述書である。

エ 本件領収書は、錯誤に基づく財物の交付に当たる事実を推認させる証拠であるから、甲に不利益な事実の承認を内容とする。

オ 本件領収書は、Vから工事代金として現金100万円を受領した際にVに交付されたものであり、任意性に疑いはない。

カ よって、書証とする場合には、本件領収書に証拠能力が認められる。

(3)物証とする場合

ア 供述を含む証拠であっても、専らその存在又は状態を証拠とする趣旨で採用する場合には、非供述証拠(証拠物)としての手続によれば足り、供述証拠としての要件を充足することを要しない。もっとも、非供述証拠(証拠物)として採用した証拠については、専らその存在又は状態が証拠となるに過ぎないから、その証拠に含まれる供述の内容を事実認定に用いることは許されない。したがって、裁判所が、供述の内容を事実認定に用いるために証拠を採用するためには、供述証拠としての要件を充足することが必要である(犯行被害再現実況見分調書事件判例参照)。請求証拠を非供述証拠的に用いたのでは自然的関連性が認められない場合には、裁判所は、たとえ当事者が非供述証拠的使用を示唆していたとしても、これを非供述証拠として証拠採用する余地はない(上記判例参照)。
 本件領収書について、専らその存在又は状態を証拠とする場合には、その内容を事実認定に用いることは許されない。本件領収書は、その内容を離れた形状等のみでは、要証事実である「甲が平成30年1月10日にVから屋根裏工事代金として100万円を受け取ったこと」との関係で何らの証明力も有しない。そうすると、本件領収書を物証として非供述証拠的に用いたのでは、要証事実との関係で自然的関連性が認められない。したがって、本件領収書を非供述証拠として証拠採用する余地はない。

イ よって、物証とする場合には、本件領収書に証拠能力は認められない。

以上

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2018年07月24日

平成30年司法試験論文式刑事系第1問参考答案

【答案のコンセプトについて】

1.司法試験の論文式試験において、合格ラインに達するための要件は、概ね

(1)基本論点抽出できている。
(2)当該事案を解決する規範明示できている。
(3)その規範に問題文中のどの事実が当てはまるのかを摘示できている。

という3つです。とりわけ、(2)と(3)に、異常な配点がある。(1)は、これができないと必然的に(2)と(3)を落とすことになるので、必要になってくるという関係にあります。応用論点を拾ったり、趣旨や本質論からの論述、当てはめの事実に対する評価というようなものは、上記の配点をすべて取ったという前提の下で、優秀・良好のレベル(概ね500番より上の順位)に達するために必要となる程度の配点があるに過ぎません。 

2.ところが、法科大学院や予備校では、「応用論点に食らいつくのが大事ですよ。」、「必ず趣旨・本質に遡ってください。」、「事実は単に書き写すだけじゃダメですよ。必ず自分の言葉で評価してください。」などと指導されます。これは、必ずしも間違った指導ではありません。上記の(1)から(3)までを当然にクリアできる人が、さらなる上位の得点を取るためには、必要なことだからです。現に、よく受験生の間に出回る超上位の再現答案には、応用、趣旨・本質、事実の評価まで幅広く書いてあります。しかし、これを真似しようとするとき、自分が書くことのできる文字数というものを考える必要があります。
 上記の(1)から(3)までを書くだけでも、通常は6頁程度の紙幅を要します。ほとんどの人は、これで精一杯です。これ以上は、物理的に書けない。さらに上位の得点を取るために、応用論点に触れ、趣旨・本質に遡って論証し、事実に評価を付そうとすると、必然的に7頁、8頁まで書くことが必要になります。上位の点を取る合格者は、正常な人からみると常軌を逸したような文字の書き方、日本語の崩し方によって、驚異的な速度を実現し、7頁、8頁を書きますが、普通の考え方・発想に立つ限り、なかなか真似はできないことです。
 文字を書く速度が普通の人が、上記の指導や上位答案を参考にして、応用論点を書こうとしたり、趣旨・本質に遡ったり、いちいち事実に評価を付していたりしたら、どうなるか。必然的に、時間不足に陥ってしまいます。とりわけ、上記の指導や上位答案を参考にし過ぎるあまり、これらの点こそが合格に必要であり、その他のことは重要ではない、と誤解してしまうと、上記の(1)から(3)まで、とりわけ(2)と(3)を省略して、応用、趣旨・本質、事実の評価を書きにいってしまう。これは、配点が極端に高いところを書かずに、配点の低いところを書こうとすることを意味しますから、当然極めて受かりにくくなるというわけです。

3.上記のことを理解した上で、上記(1)から(3)までに絞って答案を書こうとする場合、困ることが1つあります。それは、純粋に上記(1)から(3)までに絞って書いた答案というものが、ほとんど公表されていないからです。上位答案はあまりにも全部書けていて参考にならないし、合否ギリギリの答案には上記2で示したとおりの状況に陥ってしまった答案が多く、無理に応用、趣旨・本質、事実の評価を書きにいって得点を落としたとみられる部分を含んでいるので、これも参考になりにくいのです。そこで、純粋に上記(1)から(3)だけを記述したような参考答案を作れば、それはとても参考になるのではないか、ということを考えました。下記の参考答案は、このようなコンセプトに基づいています。

4.参考答案の太字強調部分は、「司法試験定義趣旨論証集(刑法総論)及び「司法試験定義趣旨論証集(刑法各論)に準拠した部分です。

 

【参考答案】

第1 設問1

1 丙に対する名誉毀損罪(230条1項)の成否

(1「名誉」(230条)とは、人に対する社会的評価(外部的名誉)をいう「毀損」というためには、事実の摘示で足り、現実的、具体的に社会的評価が低下したことを要しない(抽象的危険犯、判例)「事実」(230条)とは、他人の社会上の地位又は価値を侵害するに足りる事実をいう(判例)
 乙は、PTA役員会において、「2年生の数学を担当する教員がうちの子の顔を殴った。」と発言した。A高校2年生の数学を担当する教員は、丙だけであった。したがって、乙は、丙の社会上の地位又は価値を侵害するに足りる事実を摘示したといえ、「事実を摘示し、人の名誉を毀損した」といえる。

(2)「公然」とは、不特定又は多数人が認識し得る状態をいうたとえ事実摘示の直接の相手方が特定少数者に対するものであったとしても、不特定多数人への伝播可能性がある場合には、「公然」に当たる(判例)
 確かに、PTA役員会の出席者は乙を含む保護者4名とA高校の校長であり、特定少数者であった。同委員会において、乙は「徹底的に調査すべきである。」と発言し、この乙の発言を受けて、A高校の校長が丙やその他の教員に対する聞き取り調査を行った結果、A高校の教員25名全員に丙が甲に暴力を振るったとの話が広まったが、A高校の教員には守秘義務があると考えられる。しかし、同委員会に出席した乙以外の保護者3名から不特定多数人への伝播可能性がある。したがって、「公然」に当たる。

(3)乙は、かねてから丙に対する個人的な恨みを抱いていたことから、この機会に恨みを晴らそうと思い、丙が甲に暴力を振るったことを多くの人に広めようと考えて、上記発言を行ったから、上記(1)、(2)の点を認識、認容していたといえ、故意がある。

(4)以上から、名誉毀損罪が成立する。

2 A高校に対する信用毀損罪(233条)の成否

(1)「信用」とは、人の支払能力又は支払意思に対する社会的な信頼に限定されるべきものではなく、販売される商品の品質に対する社会的な信頼も含む(コンビニジュース虚偽異物申告事件判例参照)「流布」とは、不特定又は多数人に広めることをいい、直接の相手方が特定少数人であったとしても、不特定又は多数人に伝播するおそれがある限り「流布」に当たる(判例)
 乙は、PTA役員会において、「2年生の数学を担当する教員がうちの子の顔を殴った。」と発言した。上記発言は、甲がとっさにしたうその話を信じたものであるから、「虚偽の風説」に当たる。前記1(2)のとおり、直接の相手方は特定少数人であったが、不特定又は多数人に伝播するおそれがあったから、「流布」したといえる。A高校において販売される商品は教育であり、その品質に対する社会的な信頼を低下させるに足りるから、「信用を毀損」したといえる。

(2)もっとも、乙は、甲がとっさにしたうその話を信じたのであり、上記発言が「虚偽の風説」に当たることの認識がない。したがって、故意がない。

(3)以上から、信用毀損罪は成立しない。

3.よって、乙は、名誉毀損罪の罪責のみを負う。

第2 設問2

1 不作為による殺人未遂罪が成立するとの立場からの説明

(1)不真正不作為犯が成立するには、作為との構成要件的同価値性を基礎づける保証人的地位に基づく作為義務が必要である。具体的には、法益を排他的に支配し、作為が可能かつ容易であったことを要する
 甲が乙を発見したのは、午後10時30分頃である。山道脇の駐車場には、街灯がなく、夜になると車や人の出入りがほとんどなかった。乙が転倒した場所は、草木に覆われており、山道及び同駐車場からは倒れている乙が見えなかった。甲は、バイクから降りて、乙に近づいて乙の様子を見ていた。他に、乙の様子を見ていた者がいたという事実はない。乙が転倒した場所のすぐそばが崖となっており、崖から約5メートル下の岩場に乙が転落する危険があった。現に、甲がバイクで走り去った後、乙は崖下に転がり落ち、後頭部を岩に強く打ち付け、後頭部から出血して意識を失うに至った。この時点で、乙の怪我の程度は重傷であり、乙が意識を失ったまま崖下に放置されれば、その怪我により乙が死亡する危険があった。以上から、甲は、乙の生命を排他的に支配していた。
 また、乙が崖近くで転倒した時点で、同駐車場に駐車中の乙の自動車の中に乙を連れて行くなどすれば、乙が崖下に転落することを確実に防止することができたし、甲は、それを容易に行うことができた。したがって、作為が可能かつ容易であった。
 以上から、甲には、乙を救命すべき作為義務があった。それにもかかわらず、乙の救助を一切行うことなく、その場からバイクで走り去ったから、その不作為は殺人罪の実行行為に当たる。

(2)甲は、バイクから降りて、乙に近づいて乙の様子を見ており、乙が転倒した場所のすぐそばが崖となっており、崖下の岩場に乙が転落する危険があることを認識していた。それにもかかわらず、その場からバイクで走り去った以上、少なくとも、乙の死亡について未必的な認識・認容がある。
 以上から、甲に殺人罪の故意がある。

(3)よって、殺人未遂罪が成立する。

2 保護責任者遺棄等(致傷)罪にとどまるとの立場から考えられる反論

(1)乙が崖近くで転倒した時点では、乙の怪我の程度は軽傷であり、その怪我により乙が死亡する危険はなかった。甲がバイクで走り去った後、乙が崖下に転がり落ちたのは、乙が意識を取り戻して起き上がろうとした際に、崖に向かって体を動かしたためである。
 以上から、甲には、乙の生命について排他的支配があったとはいえず、甲には、殺人罪の不真正不作為犯の成立に必要な作為義務はない。

(2)甲は、バイクから降りて、乙に近づいて乙の様子を見ており、乙の怪我が軽傷であることを認識していた。したがって、乙の死亡について未必的にも認識・認容があるとはいえない。
 したがって、甲に殺人罪の故意はない。

3 甲の罪責

(1)怪我により乙が死亡する危険はなくても、乙が意識を取り戻して起き上がろうとした際に崖に向かって体を動かしただけで、崖から約5メートル下の岩場に転落する危険があったことからすれば、前記2(1)の反論を考慮しても、甲には、不作為の殺人罪に係る作為義務がある。

(2)甲は、バイクから降りて、乙に近づいて乙の様子を見ており、乙の怪我が軽傷であることを認識していただけでなく、乙が転倒した場所のすぐそばが崖となっており、崖下の岩場に乙が転落する危険があることも認識していた。そうである以上、転落して死亡に至るかもしれないことは認識していたといえ、それにもかかわらず、バイクで走り去ったということは、そのような事態に至るかもしれないが、それでも構わないという認容があったといえる。したがって、前記2(2)の反論を考慮しても、甲に殺人罪の故意がある。

(3)よって、甲は殺人未遂罪の罪責を負う。

第3 設問3

1 乙と誤認した丁との関係

(1)甲には無関係の丁を救助する義務は認められない以上、不能犯であり、殺人未遂罪は成立しないのではないか。

(2)不能犯とは、行為の性質上、結果発生が絶対に不能なものをいう(判例)諸事情の変動により結果が発生する可能性があったと認められるときは、行為の性質上、結果発生が絶対に不能なものとはいえないから、不能犯は成立しない(空気注射事件判例参照)
 親に生じた危難について子は親を救助する義務を負うから、甲には乙を救助する義務がある。駐車場には、丁以外にも負傷した乙が倒れており、甲は、乙の存在に気付いていなかったが、丁を救助するために丁に近づけば、容易に乙を発見することができた。丁を乙と誤認したのは、丁の体格や着衣が乙に似ていたこと、同駐車場に乙の自動車が駐車されていたこと、夜間で同駐車場には街灯がなく暗かったことによる。したがって、諸事情の変動により結果が発生する可能性があったと認められる。したがって、不能犯は成立しない。

(3)よって、乙と誤認した丁との関係で、甲に殺人未遂罪が成立する。

2 乙との関係

(1)甲が丁の救助を一切行うことなく、その場からバイクで走り去ったことは、同時に乙の救助を行わない不作為でもある。親に生じた危難について子は親を救助する義務を負うから、甲には、乙を救助する義務がある。したがって、乙との関係で、不作為の殺人罪の実行行為がある。もっとも、甲は、乙の存在に気付いていなかったから、故意がないのではないか。

(2)行為者の認識した事実と発生した事実とが構成要件の範囲内で一致すれば故意が認められ、故意の個数は問わない(判例)から、具体的事実の錯誤は故意を阻却しない
 甲は、丁を乙と誤認し、重傷を負った乙が死んでも構わないと思っていたから、行為者の認識した事実と発生した事実とは殺人罪の構成要件の範囲内で一致している。したがって、乙に対する殺人罪の故意を阻却しない。

(3)よって、乙との関係で、甲に殺人未遂罪が成立する。

以上

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